Departure's borderline

フリーランス編集/ライターのいろいろな興味事

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だいたい人間関係はアンバランス 加藤千恵『アンバランス』読了メモ

私は結構ドロドロとした、こっくり濃いめの恋愛小説が好きなのですが、今回手にとったこの作品も例に漏れない激重恋愛小説でした。カトチエ作品の最新文庫化?作品『アンバランス』です。

 

アンバランス (文春文庫)

アンバランス (文春文庫)

 

 初出は別冊文藝春秋、単行本は2016年3月に発行済みで、2019年6月にやっとこさ文庫化されましたのでウキウキと買って2ヶ月ほど寝かせておりました。

カトチエ作品といえば、短歌と短編集のイメージ(ハッピーアイスクリーム等)が強く、長編作品はあまり出ていない印象でした。今回、カトチエ作品にしてはボリュームがあるなぁ、と別冊文藝春秋連載時からチェックはしていたので、文庫化はそれこそ待ちに待った!という状態で(でも2ヶ月寝かせた)、何度も気持ち悪さにページを捲るのを躊躇いながら、ゆっくりと読ませていただきました。

恋人としてお互い向き合う時期を通り過ぎてしまった「夫婦」という関係のアンバランスさを、絶妙に表現している、良い作品だと思います。

 

以下、ネタバレ+多少の官能要素あります。

  1. 1.夫の歪んだ性癖
  2. 2.対する復讐
  3. 3.専業主婦という大きくて重すぎるレッテル
  4. まとめ

 

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新潮文庫の100冊 2019年

今年も、各出版社の文庫フェスがやってきましたね。

出版社とか関係なく、まんべんなく小説を読む方だと思って居るのですが、新潮文庫の100冊は毎年必ずチェックしています。

今年もいいラインナップが揃っているので、注目作品と既読作品(ほぼ全てが現代小説です)を総まとめ。For Meのメモですが、一応ネタバレあるかも。

  1. 恋する本
  2. シビレル本
  3. 考える本
  4. ヤバイ本
  5. 泣ける本
  6. まとめ

 

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スカイ・クロラ考察 第2回

今まで、こちらのブログをメインの解釈(やや私の考察とズレているところはあるものの、大変よくまとまっているので、読み物として面白いブログだと思います)として扱ってきました。前回の私のブログも、同様にこちらの解釈を根本としています。

 

 

キルドレ」について考える

 

スカイ・クロラ』シリーズに登場する人物は、大きく分けて2種類に分けられると思います。

キルドレ」か、「キルドレではない」か。

今回は、「キルドレ」という単語について、少しまとめて考察したい次第です。

 

前回のブログで、「キルドレ」は、人種なのか、病名なのか・・・とカッコ書きで加えていたのですが、

「とある会社の開発した遺伝子制御剤の名前で、その副作用で生まれてきた成長しない子供への呼称」

という注釈がありました(完全なる見落とし)。

 

キルドレ」という単語は、作中では全てカタカナ表記なので、詳細はわかりませんが、推測するに“kill + children”であると考えます。

“kill”ではなく、“killer”という解釈をしているブログも多数ありますね。“killer + children”の直訳は「殺人鬼のような(恐ろしい)子供たち」なのかな。

私はあえて“kill + children”を推したいですね。「檻の中に閉じ込められた」とか、「普通社会的に抹消された」という意味のkillです。あ、正しくは“killed”になる?まあそこらへんは英語詳しくないんで割愛。

 

思春期終わり(挿絵や映画のビジュアルを見るに17~18歳前後?)程度以上には成長せず、成長が止まれば、毎日の記憶が曖昧になります。また、ほかの人が見聞きしたことを伝聞し、それをあたかも自分の体験のように記憶する傾向があり、この記憶を元にした発言が『スカイ・クロラ』シリーズの混乱の元になっているのでしょう。

この部分については、シリーズ時系列5作目『スカイ・クロラ』にて、以下のような記述があります。

とても忘れっぽくなって夢を見ているような、ぼんやりとした感情が精神を守っている。昨日のことも昨年のことも同じと考え、夢のことで過去にあった現実を改ざんする

 

 

草薙水素の「キルドレではなくなった」発言

メインの登場人物である草薙水素は、妊娠を経験したことによって、「キルドレではなくなった」と数人に報告するシーンがあります。

ただ、このシーン。私はどうしても腑に落ちなくて、もやもやしているところでもあります。

 

『フラッタ・リンツ・ライフ』にて、非キルドレ化する単純ではない薬が発見されたものの、草薙水素はなぜ妊娠のみで非キルドレ化したのか。

 

ここからは私の考察でありますが、草薙水素は、この妊娠した子を産んでいない、中絶を行っています(作中記載あり)。つまり、草薙瑞季草薙水素の娘ではないということ。そのヒントとなったのが、作者・森博嗣先生のブログのこの一言。

 

「たとえば、草薙瑞季は、水素の娘だと思っている人が多いですが、土岐野がそう言っただけです。このように、何を信じるべきか、ということが重要だと思います。」

 

含みがある~~~~~~~~!森先生、そういうとこです!好きです!

 

取り乱しました。

時系列的に、草薙が中絶手術を受けた時からの時間経過を考えると、瑞季は水素の娘ではないことが明らかです。

 

ただし、キルドレだからといって、なぜ妊娠しただけでキルドレでなくなるのかが腑に落ちない。なぜだ。
キルドレの成長が止まるのが17~18歳程度だとすれば、繁殖能力は十分に持っているはずであって、妊娠というイベントが成長を促すきっかけになるとは思えないのです。
さらにもう一つ、では男性のキルドレはどうなのか。

『フラッタ・リンツ・ライフ』では、草薙水素が「女性は難しくないが、男性の非キルドレ化は別の血液を輸血すれば起こりうる」と言っています。

 

つまり、血液の交換が一種の非キルドレ化に対するレバーなのか・・・?

うーん、それなら性行為のみでもありえる気がするんだけど。

ちょっと生々しい話をすると、シリーズ内で、パイロットたちが娼館にて、避妊具を付けている描写がないのです。性描写はそこそこ頻繁に出てくるし、娼館の娼婦たちがそこそこキーパーソンでもあるので、描かれていてもおかしくは無いと思うのですが。

 

 

映画『スカイ・クロラ』における「保管」描写

 

小説作中には、成長が止まり、肉体的な変化を無くしたキルドレが、ぼんやりとした感情のみでただ時間だけが過ぎる状態、さらに、会社(戦争請負会社)が配置先に迷うキルドレをこの状態にし、長期管理することを「保管」と呼称しています。

 

これ、少し気になったんですが、映画『スカイ・クロラ』に同様の描写があるのではないかと。

映画『スカイ・クロラ』では、原作と大きく展開が異なり、最初と最後が輪廻転生の描写に書き換わっています。

ただし、原作をお読みの方ならおわかりになると思うのですが、映画では、キルドレの生まれ変わりはキルドレなのでは?という三ツ矢碧の仮説を解き明かしていく物語にすり替わっていて、主人公である函南優一も、断定はされていないものの、栗田仁郎の生まれ変わりとして描写されています(ちがう?いやそうだろうよ)。

 

また、函南優一は、ティーチャに勝負を挑み、墜ちたのですが、その欠員としてやってきた新たなパイロットは、函南優一と同じように、たばこを吸う際、マッチを折る癖がありました。

 

 

栗田仁郎が死んだ後、函南優一に生まれ変わる(ここではその表現をします)時、行われた処置は「保管」だったのではないでしょうか。

つまり、栗田仁郎は死んでいなかった、または脳移植(時代設定が曖昧なので、この説は否定したい)等で、記憶をすり替え、「保管」処置で新たな人格を形成、栗田仁郎時代の記憶を抹消し、パイロットとして配属されたのではないかと考えました。

 

ただし映画『スカイ・クロラ』については、一作完結型に編集したために、完全に原作とは違うストーリーになっているので・・・なんともいえないかなあ・・・。

 

悩ましい。

キルドレ」についての考察はここらへんで。

次の考察は、できれば瑞季と水素の関係についてをやりたいけど、なんせ考察って疲れるんですわ・・・。

スカイ・クロラシリーズをほんの少し考察する

 

 

 

スカイ・クロラ』というシリーズ小説が好きです。

 

もともと、小説は幅広く読むんですが、森博嗣作品は『スカイ・クロラ』シリーズと『S&M』シリーズ(『すべてがFになる』からのシリーズ)が特に好きで、年に1回はどちらも通しで読んでいます。

 

スカイ・クロラ』が映画化(押井守監督)されたのは、2008年8月のことで、私は当時12歳でした。

押井作品好きの父に連れられ、意味もわからぬまま映画館で戦闘機の轟音と、キルドレたちの生活を眺めていたことを覚えています。

 

映画をきっかけに、私は『スカイ・クロラ』シリーズにハマり、大学では経済学部にいながらゼロ年代SF小説の卒論を書くに至ります。

気づいたら、映画公開から10年が経っていたので、思いの丈でもまとめておこうかなあと。

 

 刊行順と時系列の違い

 

シリーズ小説としては、全6巻。

刊行順としては、

スカイ・クロラ
ナ・バ・テア
ダウン・ツ・ヘヴン
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
スカイ・イクリプス
の順番になります。

 

ただ、刊行順とシリーズ時系列は少し違っていて、
第1巻の『スカイ・クロラ』は第5巻、かつ、
第6巻の『スカイ・イクリプス』はシリーズの補完短編集です。

並べると、
ナ・バ・テア
ダウン・ツ・ヘヴン
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
スカイ・クロラ
で本編が終了、『スカイ・イクリプス』で補完、というかたちです。

 

蛇足ではあるのですが、単行本と文庫本の装丁はリンクしておりまして、
たとえば『スカイ・クロラ』なら、

 

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

 

 

 

スカイ・クロラ (中公文庫)

 

 

 

↑こんな感じに、夕焼けの色。
になってます。

 

私は単行本の装丁が大好きで、読むときは単行本で読むようにしてます。(文庫本ももちろん揃えてるのですが。)

 

 

シリーズ共通設定

シリーズに共通して描かれる設定として、まず世界は「見世物」としての戦争をしていることが挙げられます。

映画での説明は、
「ショーとしての戦争があることによって、人々が平和を感じ、幸せに生活をすることができる」
というもの。

作中では、「戦争法人(会社)」が存在し、会社に所属する人間が戦争を行います。

 

その戦争は誰が戦士として働く(労働にあたるのかなあ?)のかというと、「キルドレ」と呼ばれる人々(人種なのか、病名なのか)が登場します。

キルドレ」は思春期を過ぎてから成長が止まり、永遠に生き続ける存在。

作中で、「新薬の開発中、偶然誕生した」とされていますが、それ以上のことは語られていません。

ただ、戦争をすることができる程度には多く存在しており、相当数が生み出されている可能性があります。

 

そして、これは、ネット上に『スカイ・クロラ』シリーズの考察ブログが乱立する理由でもあると思いますが、シリーズは一貫して「僕」という主人公の一人称を用いて語られています。

その「僕」がそれぞれ登場人物の誰であるのかは、決して語られることがありません。

ただ、情報を整理しながら読んでいくと、主人公がある程度推測・確定でき、その答え合わせ的なまとめとして、考察ブログが乱立している・・・ということです。

かくいう私も、その一人なわけですが。

 

 

ではその主人公当てゲームに参加しよう(考察)

作者である、森博嗣先生が
SNSやネット上で、『スカイ・クロラ』シリーズの正しい考察は見たことがない」
とよく仰っていますが、どの登場人物を主人公にしたとしても、『スカイ・クロラ』シリーズには矛盾点が出てきてしまう気がしています。

ただ、森先生が矛盾点をそのままに「いいや刊行しちゃえ」と世に送りだしているとは決して思えないので、何かしらのひねり、あるいは裏設定があるのだと思います。

それがわからなくてみんな考察ブログしてるんだよね。わかるよ。

 

さて、確定できる主人公は以下の通り。

ナ・バ・テア』→草薙水素
ダウン・ツ・ヘヴン』→草薙水素
『フラッタ・リンツ・ライフ』→栗田仁郎
『クレィドゥ・ザ・スカイ』→
スカイ・クロラ』→函南優一

 

『クレィドゥ・ザ・スカイ』の主人公以外は、確実に「この人」と決定付けられるキーワードおよびストーリーがありますので、この通りで間違いありません。

問題の『クレィドゥ・ザ・スカイ』ですが、作中で「キルドレに戻った」という表現があることから、私は草薙水素であると推測します。「キルドレでなくなった(妊娠したシーンで)」という表現を、これ以前にしている登場人物が草薙のみだからです。

 

 

書いていて思った

やばい、1回分のブログじゃ追いつかない。
ちょっと書きためるので、考察連載にします。
ひとまずここで一区切り。

最近の読了まとめ

 

3か月放置してました。びっくり。
夏がもうほぼほぼ終わっちゃって、元夏女としては悲しいところ。
私はといいますと、本業のほうは転勤休みをいただきまして、5年ぶりくらいのニート生活を楽しんでます。いや暇すぎてほんと早く働きたい。

副業(?)は順調です。ありがたいことに日本からもフランスからも相変わらず断続的にお仕事をもらえていて、今後も継続できそう。

 

夏はだいたい集英社のナツイチ、角川のカドフェス、新潮100冊で未読のものを漁るのが恒例だったんですが、今までの仕事の忙しさにかまけてほとんど読んでませんでした。

読メにあげるのも失礼なくらいにさらっと読みなのでここにまとめちゃおう作戦!

 

以下ちょみっとネタバレあるよ↓

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音の繊細さと美しさを改めて想う 小説・映画『羊と鋼の森』

 

1歳半からソルフェージュとピアノを習っていました。
物心ついた頃から家には母の使っていたアップライトピアノがあり、それはやがて自分のためのグランドピアノに変わりました。

音大を真剣に目指していたため(のちに金銭面で断念)、一日3時間はピアノを弾き込んでおり、ピアノの狂い方も激しく、半年に1度は必ず調律師さんを呼んでいました。
調律師さんは、毎回2時間ほどかけて私のピアノを調律してくれます。
1つ1つのハンマーを、私好みの音になるように、しっかりヤスリをかけ、フェルトに針を刺してくれました。

羊と鋼の森』は、そんな”調律師”さんのお話。
ピアノという、羊(フェルトハンマー)と鋼(ピアノ線)が入り組んだ森を、主人公である外村くんがどう歩いていくか、というお話です。

以下、小説・映画ともにネタバレあります。

 

小説『羊と鋼の森』 

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)

 

 高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく──。一人の青年が成長する姿を暖かく静謐な筆致で描いた感動作。
(文庫版裏表紙あらすじより引用)

 

2016年、第13回本屋大賞 大賞受賞作です。
宮下奈都先生は、『スコーレNo.4』(光文社 '07)の印象が強く、私のイメージは「女の子の心情描写がステキだな」でした。

今回、『羊と鋼の森』を読んだ方、数人とお話をしたのですが、皆さん共通する感想が「ピアノの音が聞こえる」。
本、特に小説は、文章を追っていくものですから、主人公の声、情景、ましてやピアノの音は自分の頭の中で想像するしかありません。
しかしながら私自身も、「あ、ピアノの音だ」と読みながら感動していたシーンが多くあったことも事実です。

 

音が聞こえる描写

一つ一つの音への描写がとにかく美しい。
例えば、外村が調律師を目指すきっかけになった板鳥の調律を初めて見た(聴いた?)時のこのフレーズ。

秋の、夜、だった時間帯が、だんだん狭く限られていく。秋といっても九月、九月は上旬。夜といってもまだ入り口の、湿度の低い、晴れた夕方の午後六時頃。町の六時は明るいけれど、山間の集落は森に遮られて太陽の最後の光が届かない。夜になるのを待って活動を始める山の生きものたちが、すぐその辺りで息を潜めている気配がある。静かで、あたたかな、深さを含んだ音。そういう音がピアノから零れてくる。

ピアノの音一つで、ここまで繊細な描写は見たことがありませんでした。
でも、ピアノを1度でも弾いたことのある人なら、全員が納得する描写なのではないでしょうか。深く、あたたかみのある木々が奏でるピアノの澄み切った音が今にも聞こえてくる気がしました。

 

ピアニストになる決意


ずっと外村に調律を任せていた双子の姉妹 和音・由仁。姉妹そろってピアノの才能に恵まれながら、妹の由仁のほうが自由奔放に弾けることを少し引け目に感じている姉・和音。
きらびやかで明るい自分のピアノに反して、しっとりと大人しい和音のピアノに華を添えてほしいと、あえて「もう少し明るい音に」と調律のオーダーを出す妹・由仁。

そんな双子に、あるアクシデントが起こることからクライマックスが始まります。
ある日突然、コンクールでの失敗がきっかけで由仁がピアノを弾けなくなり(精神的なもの?)、本人よりふさぎ込む和音。和音も、ピアノに触ることをやめてしまいます。

和音と由仁が、どう気持ちの整理をつけ、和音だけがピアノを再開する運びになったのかは小説では描かれていませんが、双子が復帰してはじめての調律(この時は外村の調律ではないけれど)を終えた時、和音はピアニストになりたいと自分の夢を初めて口にします。
双子の母からは「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけよ」と、本意ではないにしろ問いかけますが、それに対しての和音の言葉が深く刺さりました。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」
「ピアノを食べて生きていくんだよ」

 

調律師になる決意

和音がピアニストになりたいと夢を口にした時、由仁はどう思ったのか。
今まではずっと綺羅びやかな自分のピアノが評価されてきたのにもかかわらず、自分はピアノが弾けなくなってしまったのですから。
和音の宣言の直後、由仁もまたこう宣言します。

「私、やっぱりピアノをあきらめたくないです」
「調律師になりたいです」
「和音がそうであるように、私もピアノで生きていくんです」

 

映画『羊と鋼の森


『羊と鋼の森』予告編

私の中では、小説はどちらかというと双子の物語だったように感じていました。外村の感情描写はもちろんあったものの、外村はどこか淡々としていて、自分を第三者目線で傍観しているような気がしたのです。

映画『羊と鋼の森』では、外村の感情を活き活きと表現していたのが印象的でした。
映画では外村が絶望の中に陥り、北海道の大自然の中、叫び声を上げるシーンすらもあります。小説の外村からは考えられなかったシーンでした。だがそれがまたいい。

 

音がすべてにおいて美しい

小説でももちろん音描写の細かさ、輝きが素晴らしかったので、映画はどのようなものかと思っていましたが、非常にこだわっていてよかった。
ピアノの一音一音ももちろんそうですが、一番の感動が、フェルトハンマーに針を刺す音が聴こえること。擬音語ではちょっと表現できないので、ぜひ気になったら映画を見てください(笑)

他にも、
音叉を鳴らすために振る「ビュンッ」と風を切る音
ピアノ線に触れたときの指との擦れ
ピアノ演奏中、リバーブペダルを踏み込む柔らかなフェルトが上がる音・・・
とにかくこだわっているとつくづく感じました。

素人なら絶対にわからないであろう、ヤマハピアノとスタインウェイピアノの柔らかさのちがいや、森を踏みしめる足音まで素晴らしく表現されていることにはもう感動と脱帽、盛大な拍手。

これは映画館で味わってほしい。そう素直に思える作品でした。

 

小説と比べても遜色ないストーリーの短縮

長編小説を映画2時間程度に短縮するのはやはり難しい。この作品に関しては、小説がいい表現をふんだんに使っているからこそ、どこをカットし、どこを編集するのかが気になっていました。
カットになっていたのは、どれもカットしてても遜色ないシーンばかり。脚本家いい仕事したなあと思いながら見ていました。
また、和音の「ピアノを食べて生きていく」シーンは、由仁との掛け合いになっていました。非常に自然な流れでつなげてくれたのでよかった。

双子を演じたのは今話題の上白石姉妹。双子というより、2歳違いの姉妹っていう設定だったのかな?作中では特に触れられていませんでした。

少し駆け足ではありましたが、小説の良さをふんだんに詰め込んだいい作品だったと思います。

 

おわりに

サントラ買いました。よかった。
一緒に見に行ってくれた友人Aちゃんありがとう。

 

少年が青年に成長し、壮年を迎えるお話 ー『爽年』読了メモ

 
今年の桜は特に早かったですね。気づいたら葉桜でした。
日本人は本当に桜が好きだと思う。
気象情報で毎日のように開花予想を眺め、三分咲きにでもなろうものなら、お酒を片手に気のしれた人々と外へ繰り出す。卒業式、入学式、入社式…人生の節目にはだいたい桜がある。
 
2001年、『娼年』が発表されてから17年をかけて、2018年4月5日の『爽年』発売を以て娼年シリーズは遂に完結した。見事な桜色の表装、連想したのは桜(と咲良)。勝手な連想だけどね。
2001年というと、私はたったの6歳だから、もちろん『娼年』を手にとったのはもっと先のことである。
それでも、私の中で、『娼年シリーズ』は私のたった22年の人生で片手の指に入るほど、自分の人生を変えた作品だった。
 

 

爽年

爽年

 

 

 今回でぼくの物語は最後になるだろう。果てない巡礼にも、長らく続いた航海にも終わりのときはやってくる。それは巡礼者が目的のこたえを見つけ、帰るべき港に到着したからだ。
 七年間を超える男娼生活が、ぼくをどんなふうに変え、どんなふうに変えなかったか。
 一生の仕事だと考えていた娼夫という仕事にどんなふうに決着をつけたか、ゆっくりとおつきあいいただきたい。
 これは現代の性と「性の不可能性」を巡る現場からの報告だ。
(本文一部抜粋)
 
娼年』『逝年』に関して、すでに読み進めている前提での私なりの読了メモです。
以下ネタバレあります。
 

女に振り回される男の類~『水を抱く』読了メモ

 

娼年』シリーズに出会って以来、石田衣良先生の恋愛小説ファンです。少し浮世離れした、世界を達観する男性。何かとコンプレックスを抱く女性。生々しい性描写。描かれる繊細な背景。すべてに惚れています。

 

新潮社から出ているこの『水を抱く』は、『眠れぬ真珠』『夜の桃』と表装が似ていることから、私は勝手に三部作なのかなあと思ってました。実際に、『眠れぬ真珠』と『夜の桃』は、物語に若干のつながりがあります。

 

水を抱く (新潮文庫)

水を抱く (新潮文庫)

 

 

初対面で彼女は、ぼくの頬をなめた。29歳の営業マン・伊藤俊也は、ネットで知り合った「ナギ」と出会う。5歳年上のナギは、奔放で謎めいた女性だった。雑居ビルの非常階段で、秘密のクラブで、デパートのトイレで、過激な行為を共にするが、決して俊也と寝ようとはしない。だがある日、ナギと別れろと差出人不明の手紙が届き……。石田衣良史上もっとも危険でもっとも淫らな純愛小説。 

以下ネタバレあります。

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奇数多角関係はどうしても犠牲が出る~『Just Because!』読了メモ

 

アニメ化されてから、タイトルだけは知っていた『Just Because!』をやっと読み終えました。やっとと言っても読み始めたのは今日なので、実質3時間くらいで読み終えてます。手軽なラノベ感があるのは、やっぱりメディアワークスのいいところ。 

 

Just Because! (メディアワークス文庫)

Just Because! (メディアワークス文庫)

 

 

あらすじ

 「あいつを好きな君の横顔が、たまらなくきれいだったから───」中学時代に福岡へ転校した瑛太は、高校生活残り3ヵ月という時期に、再び父の転勤のため地元・鎌倉へ戻ることになる。転入した高校には、かつて淡い恋心を抱いていた美緒と、美緒が心を寄せる陽斗の姿が。瑛太にとって中学時代の野球仲間である陽斗は、ある女子に「告白してくる」と言い出して……。

 受験、卒業、恋───高校生たちのきらめきと揺らぎを描き出す青春群像劇。アニメ『Just Because!』原作小説。 

 

鴨志田作品は、電撃文庫で見かけることが多いのだけれども、メディアワークス作品ということもあって、少しアニメ色は薄いのかも。代表作は『さくら荘のペットな彼女』シリーズ。

アニメ化は2017年秋クール。音楽プロデュースがやなぎなぎさんだったからすごくよく覚えてる。見てないけど…。

 以下ネタバレあります。

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春は桜色、姫は純白。~『キャロリング』を読んだ

クリスマスは過ぎたけど、というよりもう2月だけれど。

有川浩先生の『キャロリング』を読みました。

 

 

キャロリング (幻冬舎文庫)

キャロリング (幻冬舎文庫)

 

 

有川浩先生の作品は、大きく分けると2種類だと思ってます。

「心が痛くなる恋愛モノ」と「少しだけ非日常な日常モノ」

前者は『ストーリーセラー』や『レインツリーの国』、『植物図鑑』が代表的かな。後者は『図書館戦争シリーズ』や『キケン』等々。『キャロリング』は、後者の作品ですね。

 

あらすじ

クリスマスに倒産が決まった子供服メーカーの社員・大和俊介。同僚で元恋人の柊子に秘かな思いを残していた。そんな二人を頼ってきたのは、会社に併設された学童に通う小学生の航平。両親の離婚を止めたいという航平の願いを叶えるため、彼らは別居中の航平の父親を訪ねることに──。逆境でもたらされる、ささやかな奇跡の連鎖を描く感動の物語。

 文庫版・裏表紙の内容紹介から引用しました。少し疑問が残るのが、「ささやかな奇跡の連鎖」という表現。読んでいて、そこまで奇跡の連鎖が起きているとは思えませんでした。

また、感動というよりも目まぐるしく変わっていく事情展開についていくのがやっとで、最後は急にきたなぁ…という印象でした。

総じて有川作品は大好きですが、今回はここがひっかかった。

 

 

春は桜色、姫は純白。

ネタバレは避けますが、柊子が大和に「ハルジオンとヒメジョオンの見分け方」を教えるシーンが頻繁に出てきます。

何度も柊子は大和に見分け方を説明するのですが、大和はすぐ忘れてしまう…。

ラストシーン、柊子は大和に「絶対に忘れない覚え方」を教えます。

 

「わたし、絶対忘れない覚え方考えた」

「どんな?」

すると柊子は歌うような口調で言った。

「春は桜色、姫は純白」

 これを読んだとき、涙が溢れました。物語を最初から読んでいる人じゃないとわからない、やっと覚えられた二つの花。彼らは、この二つの花を大切にしながら物語が終わっても生きていくのだと思います。

 

…ただ、気になったのが、これマジ?ってこと。

ブログ「はやしのなか」さんの説明をご覧いただければと思うのですが、「ヒメ」には純白じゃないこともあるらしい。若干ショック。

…ま、まあフィクションだからね!

 

 

まとめ

有川作品は、すべての作品において安心して読めますね。どれをとってもハズレはないです。『キャロリング』も、少し泣きたくなるクリスマスの素敵なお話でした。

有川先生、幻冬舎さんと相性がいい気がする。

ただ、少しページ量は多いです。長編苦手な方にはおすすめしないかも(実際私も2回飽きが来た)。

昼のテレ朝が好きなら、是非読んでほしい1冊です。