『スカイ・クロラ』というシリーズ小説が好きです。
もともと、小説は幅広く読むんですが、森博嗣作品は『スカイ・クロラ』シリーズと『S&M』シリーズ(『すべてがFになる』からのシリーズ)が特に好きで、年に1回はどちらも通しで読んでいます。
『スカイ・クロラ』が映画化(押井守監督)されたのは、2008年8月のことで、私は当時12歳でした。
押井作品好きの父に連れられ、意味もわからぬまま映画館で戦闘機の轟音と、キルドレたちの生活を眺めていたことを覚えています。
映画をきっかけに、私は『スカイ・クロラ』シリーズにハマり、大学では経済学部にいながらゼロ年代SF小説の卒論を書くに至ります。
気づいたら、映画公開から10年が経っていたので、思いの丈でもまとめておこうかなあと。
刊行順と時系列の違い
シリーズ小説としては、全6巻。
刊行順としては、
『スカイ・クロラ』
『ナ・バ・テア』
『ダウン・ツ・ヘヴン』
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
『スカイ・イクリプス』
の順番になります。
ただ、刊行順とシリーズ時系列は少し違っていて、
第1巻の『スカイ・クロラ』は第5巻、かつ、
第6巻の『スカイ・イクリプス』はシリーズの補完短編集です。
並べると、
『ナ・バ・テア』
『ダウン・ツ・ヘヴン』
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
『スカイ・クロラ』
で本編が終了、『スカイ・イクリプス』で補完、というかたちです。
蛇足ではあるのですが、単行本と文庫本の装丁はリンクしておりまして、
たとえば『スカイ・クロラ』なら、
↑こんな感じに、夕焼けの色。
になってます。
私は単行本の装丁が大好きで、読むときは単行本で読むようにしてます。(文庫本ももちろん揃えてるのですが。)
シリーズ共通設定
シリーズに共通して描かれる設定として、まず世界は「見世物」としての戦争をしていることが挙げられます。
映画での説明は、
「ショーとしての戦争があることによって、人々が平和を感じ、幸せに生活をすることができる」
というもの。
作中では、「戦争法人(会社)」が存在し、会社に所属する人間が戦争を行います。
その戦争は誰が戦士として働く(労働にあたるのかなあ?)のかというと、「キルドレ」と呼ばれる人々(人種なのか、病名なのか)が登場します。
「キルドレ」は思春期を過ぎてから成長が止まり、永遠に生き続ける存在。
作中で、「新薬の開発中、偶然誕生した」とされていますが、それ以上のことは語られていません。
ただ、戦争をすることができる程度には多く存在しており、相当数が生み出されている可能性があります。
そして、これは、ネット上に『スカイ・クロラ』シリーズの考察ブログが乱立する理由でもあると思いますが、シリーズは一貫して「僕」という主人公の一人称を用いて語られています。
その「僕」がそれぞれ登場人物の誰であるのかは、決して語られることがありません。
ただ、情報を整理しながら読んでいくと、主人公がある程度推測・確定でき、その答え合わせ的なまとめとして、考察ブログが乱立している・・・ということです。
かくいう私も、その一人なわけですが。
ではその主人公当てゲームに参加しよう(考察)
作者である、森博嗣先生が
「SNSやネット上で、『スカイ・クロラ』シリーズの正しい考察は見たことがない」
とよく仰っていますが、どの登場人物を主人公にしたとしても、『スカイ・クロラ』シリーズには矛盾点が出てきてしまう気がしています。
ただ、森先生が矛盾点をそのままに「いいや刊行しちゃえ」と世に送りだしているとは決して思えないので、何かしらのひねり、あるいは裏設定があるのだと思います。
それがわからなくてみんな考察ブログしてるんだよね。わかるよ。
さて、確定できる主人公は以下の通り。
『ナ・バ・テア』→草薙水素
『ダウン・ツ・ヘヴン』→草薙水素
『フラッタ・リンツ・ライフ』→栗田仁郎
『クレィドゥ・ザ・スカイ』→
『スカイ・クロラ』→函南優一
『クレィドゥ・ザ・スカイ』の主人公以外は、確実に「この人」と決定付けられるキーワードおよびストーリーがありますので、この通りで間違いありません。
問題の『クレィドゥ・ザ・スカイ』ですが、作中で「キルドレに戻った」という表現があることから、私は草薙水素であると推測します。「キルドレでなくなった(妊娠したシーンで)」という表現を、これ以前にしている登場人物が草薙のみだからです。
書いていて思った
やばい、1回分のブログじゃ追いつかない。
ちょっと書きためるので、考察連載にします。
ひとまずここで一区切り。