Departure's borderline

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音の繊細さと美しさを改めて想う 小説・映画『羊と鋼の森』

 

1歳半からソルフェージュとピアノを習っていました。
物心ついた頃から家には母の使っていたアップライトピアノがあり、それはやがて自分のためのグランドピアノに変わりました。

音大を真剣に目指していたため(のちに金銭面で断念)、一日3時間はピアノを弾き込んでおり、ピアノの狂い方も激しく、半年に1度は必ず調律師さんを呼んでいました。
調律師さんは、毎回2時間ほどかけて私のピアノを調律してくれます。
1つ1つのハンマーを、私好みの音になるように、しっかりヤスリをかけ、フェルトに針を刺してくれました。

羊と鋼の森』は、そんな”調律師”さんのお話。
ピアノという、羊(フェルトハンマー)と鋼(ピアノ線)が入り組んだ森を、主人公である外村くんがどう歩いていくか、というお話です。

以下、小説・映画ともにネタバレあります。

 

小説『羊と鋼の森』 

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)

 

 高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく──。一人の青年が成長する姿を暖かく静謐な筆致で描いた感動作。
(文庫版裏表紙あらすじより引用)

 

2016年、第13回本屋大賞 大賞受賞作です。
宮下奈都先生は、『スコーレNo.4』(光文社 '07)の印象が強く、私のイメージは「女の子の心情描写がステキだな」でした。

今回、『羊と鋼の森』を読んだ方、数人とお話をしたのですが、皆さん共通する感想が「ピアノの音が聞こえる」。
本、特に小説は、文章を追っていくものですから、主人公の声、情景、ましてやピアノの音は自分の頭の中で想像するしかありません。
しかしながら私自身も、「あ、ピアノの音だ」と読みながら感動していたシーンが多くあったことも事実です。

 

音が聞こえる描写

一つ一つの音への描写がとにかく美しい。
例えば、外村が調律師を目指すきっかけになった板鳥の調律を初めて見た(聴いた?)時のこのフレーズ。

秋の、夜、だった時間帯が、だんだん狭く限られていく。秋といっても九月、九月は上旬。夜といってもまだ入り口の、湿度の低い、晴れた夕方の午後六時頃。町の六時は明るいけれど、山間の集落は森に遮られて太陽の最後の光が届かない。夜になるのを待って活動を始める山の生きものたちが、すぐその辺りで息を潜めている気配がある。静かで、あたたかな、深さを含んだ音。そういう音がピアノから零れてくる。

ピアノの音一つで、ここまで繊細な描写は見たことがありませんでした。
でも、ピアノを1度でも弾いたことのある人なら、全員が納得する描写なのではないでしょうか。深く、あたたかみのある木々が奏でるピアノの澄み切った音が今にも聞こえてくる気がしました。

 

ピアニストになる決意


ずっと外村に調律を任せていた双子の姉妹 和音・由仁。姉妹そろってピアノの才能に恵まれながら、妹の由仁のほうが自由奔放に弾けることを少し引け目に感じている姉・和音。
きらびやかで明るい自分のピアノに反して、しっとりと大人しい和音のピアノに華を添えてほしいと、あえて「もう少し明るい音に」と調律のオーダーを出す妹・由仁。

そんな双子に、あるアクシデントが起こることからクライマックスが始まります。
ある日突然、コンクールでの失敗がきっかけで由仁がピアノを弾けなくなり(精神的なもの?)、本人よりふさぎ込む和音。和音も、ピアノに触ることをやめてしまいます。

和音と由仁が、どう気持ちの整理をつけ、和音だけがピアノを再開する運びになったのかは小説では描かれていませんが、双子が復帰してはじめての調律(この時は外村の調律ではないけれど)を終えた時、和音はピアニストになりたいと自分の夢を初めて口にします。
双子の母からは「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけよ」と、本意ではないにしろ問いかけますが、それに対しての和音の言葉が深く刺さりました。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」
「ピアノを食べて生きていくんだよ」

 

調律師になる決意

和音がピアニストになりたいと夢を口にした時、由仁はどう思ったのか。
今まではずっと綺羅びやかな自分のピアノが評価されてきたのにもかかわらず、自分はピアノが弾けなくなってしまったのですから。
和音の宣言の直後、由仁もまたこう宣言します。

「私、やっぱりピアノをあきらめたくないです」
「調律師になりたいです」
「和音がそうであるように、私もピアノで生きていくんです」

 

映画『羊と鋼の森


『羊と鋼の森』予告編

私の中では、小説はどちらかというと双子の物語だったように感じていました。外村の感情描写はもちろんあったものの、外村はどこか淡々としていて、自分を第三者目線で傍観しているような気がしたのです。

映画『羊と鋼の森』では、外村の感情を活き活きと表現していたのが印象的でした。
映画では外村が絶望の中に陥り、北海道の大自然の中、叫び声を上げるシーンすらもあります。小説の外村からは考えられなかったシーンでした。だがそれがまたいい。

 

音がすべてにおいて美しい

小説でももちろん音描写の細かさ、輝きが素晴らしかったので、映画はどのようなものかと思っていましたが、非常にこだわっていてよかった。
ピアノの一音一音ももちろんそうですが、一番の感動が、フェルトハンマーに針を刺す音が聴こえること。擬音語ではちょっと表現できないので、ぜひ気になったら映画を見てください(笑)

他にも、
音叉を鳴らすために振る「ビュンッ」と風を切る音
ピアノ線に触れたときの指との擦れ
ピアノ演奏中、リバーブペダルを踏み込む柔らかなフェルトが上がる音・・・
とにかくこだわっているとつくづく感じました。

素人なら絶対にわからないであろう、ヤマハピアノとスタインウェイピアノの柔らかさのちがいや、森を踏みしめる足音まで素晴らしく表現されていることにはもう感動と脱帽、盛大な拍手。

これは映画館で味わってほしい。そう素直に思える作品でした。

 

小説と比べても遜色ないストーリーの短縮

長編小説を映画2時間程度に短縮するのはやはり難しい。この作品に関しては、小説がいい表現をふんだんに使っているからこそ、どこをカットし、どこを編集するのかが気になっていました。
カットになっていたのは、どれもカットしてても遜色ないシーンばかり。脚本家いい仕事したなあと思いながら見ていました。
また、和音の「ピアノを食べて生きていく」シーンは、由仁との掛け合いになっていました。非常に自然な流れでつなげてくれたのでよかった。

双子を演じたのは今話題の上白石姉妹。双子というより、2歳違いの姉妹っていう設定だったのかな?作中では特に触れられていませんでした。

少し駆け足ではありましたが、小説の良さをふんだんに詰め込んだいい作品だったと思います。

 

おわりに

サントラ買いました。よかった。
一緒に見に行ってくれた友人Aちゃんありがとう。