Departure's borderline

フリーランス編集/ライターのいろいろな興味事

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元”うちの子”が他球団で愛され始めたとき -千葉ロッテマリーンズ 澤村拓一

 

 

・筋肉お化け

マッスルミュージカル

・当て屋

しろくまアイス

脳筋

 

………。

ジャイアンツファンのみならず、幅広い層からひどい二つ名をつけられてきた澤村拓一。CSの最中に六本木のクラブで起こした暴力事件。駐車場を爆走して阪神のバスを煽りまくった危険運転。川崎で起こした人身事故。すごい。普通に呆れる。すごいよ澤村。猪突猛進の意味、絶対間違えてる。(澤村の座右の銘が「猪突猛進」です)

 

近年はマウンドに上がるとハラハラした。原さんもハラハラだよ。あああここは1点もやれないんだぞ、おまえ大丈夫か、やりすごせるか。そういうときに限って大量失点。お家芸か。

 

そんな彼が、電撃トレードと称され幕張の地へ飛び立った。もうすぐ1か月が経つ。

彼は1イニング3Kとかいう「どちらさまですか」と言いたいような初登板を飾り、その後も勝ちパターンのリリーフとして大活躍を遂げている。

 

>>な ん で や ね ん<<

 

結局、このトレードは大成功ということだろう。

だが、巨人ファンとしてはやはりモヤモヤが残る。巨人の環境が良くなかったのか? 巨人を愛してくれていたのではなかったのか? ちょっと澤村のこと見くびりすぎてたか?

 

 

 

***

 

10月3日(土)の予定がなくなったのはその前日の夜遅く。いつも野球を見に行く友人に「明日暇になった」と連絡をすれば、3分後に「マリンと神宮、ハシゴする計画」が決定。相変わらずのフッ軽。

 

実はZOZOマリンスタジアムに行くのは2年ぶり。2018年の習志野高校吹奏楽応援日以来だった。当時は千葉県に住んでいたので、片道30分もかからずマリンに行けたのだけど、今は東京のほぼ埼玉付近。幕張ってこんなに遠かったのかと途方に暮れながら電車に揺られること1時間半……。

 

 

その前日、澤村は登板かつ被弾していたので、「今日の登板はないだろうな」と見込んでいた。余裕ぶっこいて2回裏に球場入り。サンマリンのもつ煮最高ですわ~~ビールおいしー!ウン億ウン千万稼いでる労働者眺めながら昼間から飲むビール、おいしーーーー!

 

 

試合は締まった展開でとても面白かった。2本のHRで6-3と逆転したのちの8回。

かつてジャイアンツの大エースだった上原の登場曲「Sandstorm」が流れた瞬間、マリンがドッと湧く………。

 

いや澤村めっちゃ愛されてるじゃないの。

昨日被弾してるのに、こんな大事なところ任せてもらえるような中継ぎになったの。

1か月で何があったの。

 

投球内容も素晴らしかった。

1四球はあったものの、あとは完璧。東京ドームで投げていた背中も大きかったけれど、幕張の青空の下投げる澤村の背中は、もっと大きく感じた。

 

 

 

投球を見ながら、ボロボロ泣いてしまいましたわ。

この日配られた2005年ユニに、当時はあるはずのなかった57 SAWAMURAの文字を入れていた、まさかのチョイス。お金かけてよかったね。

 

「更生」という言葉が正しいのかはわからないけれど、あの投球からは新天地で頑張ろうという澤村の熱意が伝わってきました。

やんちゃもするし、まあまあワガママだし、なのに繊細でちょっとメンタルとうふだし。ちょっと気難しい人ではあるけれど、きっとロッテのために彼はこれから活躍してくれるはず。

 

千葉のみなさん、元”うちの子”澤村をどうぞよろしくお願いいたします。

 

↓感動しすぎてめっちゃ草はやした私のツイート

吠えろ、私のかつてのヒーロー。 -「27」を背に。埼玉西武ライオンズ内海哲也

 

 

2019年、8月。東京ドーム内売店ボールパークストア。

「さあどれがいい? おねえちゃんが買ってあげる」

「ほんとう!? おねえちゃんちに飾ってあるやつと同じのがいいなぁ」――

 

 

世間の小学校は夏休み。小学1年生になった従弟が、電車を乗り継ぎ東京の我が家に遊びに来た時のことだ。ひと回り以上も年の離れた、私にとってかわいくてしょうがない従弟。その初めてのひとり遠出だ、滞在する3日間、どこへでも連れて行くよと約束していた。

 

事前に電話で行きたいところを尋ねれば、東京ディズニーランドに連れて行ってほしいと、電話越しでもわかるほどのわくわくした声で答えてくれる。じゃあディズニーランドに行こうね、あとは? そう問うと、少し考えるような空白があってから「よく、おねえちゃんがばあばの家で見てる、野球がみてみたい!」と返ってくる。

 

夏休みの東京ドームかぁ……。たやすく予想できる超満員の東京ドームを想像し、苦笑しながらも「いいよ、いこうか」と相槌を打つ。電話の向こうで聞こえる、やったぁ! という高い声。かわいい従弟がよろこぶのなら、私もうれしい。

 

 

**

 

当日は、予想通りの超満員だった。水道橋駅で電車を降りた直後から、炎天下の中でも大きい!すごい! とぴょんぴょん飛び跳ねる従弟。「ちょっと!あんまり離れないでよ!」と、ついつい声を張り上げてしまう私。今思い返してもほほえましい、夏のワンシーンだ。

 

せっかく来たのだから、背番号入りのTシャツでも買ってやろうと思い、ボールパークストアを訪れる。キッズサイズ130くらいでよいだろうか、いや男の子は成長が早いから、少し大きめを買うべきか? サッカー派の従弟の家では野球をあまり見ないだろうし、選手の名前も知らないだろう。安パイで坂本か、調子のいい岡本でもいいかもしれない……。どれがいい? と声をかけると、予想もしなかった回答が返ってきた。

 

「おねえちゃんちに飾ってあるやつと同じのがいい! 26番!」

 

 

**

 

中学生のころ、少ないお小遣いを貯めて初めて買ったレプリカユニフォームが、26番、内海哲也のものだった。月数千円のお小遣いをやりくりし、1万円ほどするレプリカユニフォームを買うのは、中学生の私にとって至難の業。1年以上も「内海哲也貯金」をしてやっと手に入れた大切なユニフォームだ。

 

大きく振りかぶって投げおろされるキレのある球。キャッチャーの構えたところにボールが吸い込まれていくコントロールの良さ。テレビでよく見る、気取らない性格とその笑顔。かっこいいなぁ、と中学生ながら惚れ込んだ。内海哲也こそが私のヒーローだった。

 

苦労して手に入れたそのレプリカユニフォームは、そのあと長年にわたり私の現地観戦の相棒になる。内海が登板する日もしない日も、近年内海の成績が落ち込み、一軍に帯同していない日も。私は26番を背負い、読売ジャイアンツを応援していたのだ。

 

だから、2018年オフの、人的補償内海のニュースは見たくもなかった。なぜだ。あれほどまでにジャイアンツを愛し、ジャイアンツを選んでくれたピッチャーを、なぜ奪うのか。はたまた、なぜプロテクトに入っていなかったのか。なぜ、なぜ。いくら問うても人的補償の4文字は変わらない。

 

背番号26番のレプリカユニフォームは、私の部屋の隅に飾られた。高いチェストの上の、限られたスペースに折りたたまれて飾られたユニフォーム。私ですら、意識をしなければ目にも入らない場所に、ひっそりと。もう、このユニフォームに腕を通すことはないかもな。そう思った。

 

 

**

 

「今、26番はいないんだよ」

「そうなの? 引退しちゃったの?」

 

引退なんて言葉、よく知っているねと笑って流しながら、私は従弟に6番坂本のTシャツを買ってあげた。ほら、今のおねえちゃんのユニフォームと同じだよと、2019年シーズン開幕と同時に買った坂本のレプリカユニフォームを見せながら。

 

その日はいいゲームだった。打って岡本は23号ソロホームラン、先発山口は7回途中までを3点に抑え、10の三振を奪い、12勝目を挙げた。初めての現地観戦に、サッカー派の従弟も大よろこび。岡本のホームランが特に印象的だったようで、あの人はすごいとまるで昔から知っているかのように話していた。おかげで、私は試合後にもう一枚、25の番号が入ったTシャツを買ってあげる羽目になる。

 

そうか、25番はあっても、26番はもう売っていないんだな。

背番号順に並んだTシャツの棚。在庫も豊富にあるのだろう、高く積まれた25番の隣にあるはずの26番の棚はそこにはなく、代わりにその年から主の代わった27番が積まれていた。

 

 

**

 

私のかつてのヒーローは今、青い若獅子の吠える27番を背負い、所沢の西武第二球場でその日を待っている。「26より1つでも先にいくという気持ちで」選んだという背番号27。さみしさはあったが、彼らしさを感じられるそのコメントに絶望は見えなかった。

 

現在移籍後1年半、ようやく彼は一軍昇格をつかめそうだ。8月22日のオリックス戦で先発が濃厚なのだという。

 

だが、不安要素は残る。昨年11月には、商売道具である左腕にメスを入れた。もどかしさの中で、引退の二文字が頭をよぎることもあっただろう。彼自身も、今季を「勝負の年」と位置付け、「今年、上(一軍)で活躍できなければ……」というコメントを各スポーツ紙に残している。

 

負けるな、私のヒーロー。勝ち上がってきてくれ。もう一度、私の前でその輝くワインドアップを見せてくれ。

 

「今、26番はいないんだよ」

「そうなの? 引退しちゃったの?」

 

あの日、笑い流した従弟の問い。

 

「ううん。今は一歩先で、27番を背負って吠えてるよ」

 

そう答えられる未来を、私はずっと待っている。

(2272文字)

 

 

 

 

 


 

私が二球団ファンになった元凶が帰ってきた -東京ヤクルトスワローズ#5 川端慎吾

 

 

何度も言っているけれど、私は二球団ファンである。

父からDNAとして引き継いだ巨人と、大学が神宮球場のすぐ近くにあるからという理由で好きになったヤクルト。

 

巨人ファンっていうモンは、だいたいが超ガンコ(うちの父)で、だいたいが亭主関白みたいなオヤジ(うちの父)で、だいたいが巨人が負けるとその日寝るまで不機嫌になるような奴ら(うちの父)である。

 

そんな父のDNAをまるまるっと受け継いだ私だが、ありがたいことに超ガンコには育たなかったし、巨人が負けてもあまり不機嫌にはならない。父の毎回の不機嫌に飽き飽きしていた母の教育がよかったのだろう。

 

***

 

表参道にある、吉田正尚の出身大学に進学し、居酒屋で飲むより球場で飲むビールのほうがコスパがよいと、感覚がマヒし始めた頃の話だ。

 

表参道から東京ドームに行くのは、結構めんどくさい。特に神保町の乗り換えがめんどくさい。対して大学から歩いて行ける神宮球場は屋外球場。雨に降られさえしなければ、ビールは美味いし夏は花火も拝めるし、なにより申し訳ないが、巨人にとってヤクルトは格好のカモだったのである(2017年対戦成績は巨17-8ヤ)。

 

 

というわけで、私は大学時代の現地観戦のほとんどを神宮球場で過ごした。

巨人戦ならばレフトスタンドで。そうでなければ内野の一番安い席で。
ライトスタンド? それは弱いヤクルトを応援する席であって、巨人ファンが座る席ではない。

……当時の私はだいぶひねくれていた。

 

 

就職活動に失敗し、さらにひねくれ、やさぐれた2018年。私はヤクルトの主催試合のほとんどを神宮球場で過ごした。シーズンシート買えよ、って自分でも思うレベルでヤクルトの試合を見ていた。

相変わらず巨人戦ならばレフトスタンドで、そうでなければ内野の一番安い席で。

 

内野の安い席に座り、ユニフォームも着ず、一人でビールをあおりながらもくもくとコンビニで調達したさけチーをつまむ若い女は物珍しかったのだろう、声をかけてきてくれる人もいた。顔見知りも増えた。だいたいヤクルトファンのおじさんたちだったが。

 

***

 

「ねぇ、明日の席買わない?」

内野席で、おなじみのおじさんに声をかけられたのが2018年7月20日(金)、中日との3連戦初日をヤクルトが勝利で飾った日のことである。

 

「えぇ、いやですよ、土曜日学校ないからこっちいないですもん」

「そんなこと言わずにさぁ…じゃあタダであげちゃう!」

 

タダという言葉につられてチケットをもらった私は、券面を見て卒倒する。

 

――外野席。

 

「外野じゃん!笑 私ヤクルトファンじゃないんですってば!」

あわてて突き返そうとする私を、おじさんはニヤニヤと意地悪な顔で制した。

「まぁまぁ、一回行ってきてよ。ヤクルトの応援歌、もう歌えるでしょ?」

 

 

***

 

次の日、しぶしぶ私は外野席に座っていた。

売り子たちが、「珍しいですね!」と私にビールを売りにくる。しょうがない、飲むしかない。背もたれがない椅子は、腰が痛いから嫌なんだ……。ぶつぶつと文句を言いながら、私は試合を見ることにした。

 

先発は石川。2回表、福田に2ランを打たれる。

あぁ、だからヤクルトは。2018年若干好調だとはいえ、負け試合を外野で見させられるのはタダ券だとしても嫌だ。応援もしないからな。外野だからって立って応援しなきゃいけない決まりはないからな。

 

その後追い上げを見せ、4-4の同点で迎えた9回表。福田、この日2本目のソロHR。

決定打だ……。負けた負けた。次におじさんに会ったらどんな顔をしよう。

 

 

9回裏、席を立とうと思った。今なら電車も空いている。

その時先頭の山田哲人が四球で出た。すぐさま盗塁。続くバレンティンは進塁打。一死三塁。この時点で私は帰るのをやめた。

 

畠山がライトへのタイムリー。山田生還で同点。

…なんだよ、面白い試合できるんじゃん。

 

 

そして、6番、川端。

自分でもびっくりしたのだが、私は川端のチャンテを歌っていた。初外野、初チャンテ。毎日神宮球場に通っていたかいがあった。歌える。

昨日も打っていた川端。もしかしたら、という気持ちもあった。

 

バットに夢を乗せ、慎吾はライトスタンドへサヨナラ2ランを打ち抜いて見せた。

 

 

***

 

この日を機に、私はスワローズファンと名乗るようになった。純粋に川端ファンといってもいいかもしれないけれど、川端をきっかけにどんどんスワローズの魅力にハマっていった。

 

あの日から、私の定位置は神宮球場のライトスタンド。おなじみの売り子たちも、もうすっかりライトスタンドで私を探すのが上手くなった。

 

 

 

そんな川端慎吾が、2020年7月7日、一軍に帰ってきた。

腰の不調と戦い、二軍で涙を呑んできた天才バッター。

 

 

復帰1打席目の成績はサードゴロ。それでも、そのスイングにはかつての天才っぷりがぎっしり詰まっていた。明るい未来を信じずにはいられない。

 

 

おかえり、慎吾。

もう一度、バットに夢を乗せ、ぶつかってぶっ壊して、前に進んでいこうぜ。

 

 

 

www.sankei.com

 

頼むからNHK朝の連続テレビ小説『エール』を見てくれ

 

 

今季のNHK朝の連続テレビ小説『エール』。

初回からインパクトたっぷりで、「え?朝ドラ?」と思わせる演出を詰め込んだ今作。今後が楽しみでなりません。

www.nhk.or.jp

 

『エール』は大正~昭和時代を舞台に、老舗呉服屋の長男である古山裕一とその妻で歌手の関内音を主人公に据えた物語。物語自体はフィクションですが、古山裕一は「古関裕而」、関内音は「内山金子」というそれぞれ実在の人物をモデルにしています。

 

古関裕而」と聞いてピンと来る野球ファンは少なくないはず。以下、代表曲を列挙します。
巨人軍の歌闘魂こめて)」
「大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)」
「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」←初代球団歌ですね!
栄冠は君に輝く
「紺碧の空(早稲田大学)」
「我ぞ覇者(慶應義塾大学)」
「あゝ中央の若き日に(中央大学)」
「カレッジソング(東京農業大学)」

知ってる!!!ってなった曲…さすがに1曲はありますね?今もなお歌い継がれる名曲を書いたその人こそ、古関裕而なのです。

 

朝ドラはあまり見ない(というか一人暮らしの我が家にテレビがない)ので、『エール』は実家で録りため、帰省時にイッキ見するという方式を採るつもりですが、それでも今作は私の推しすぎる。推しに推しまくって全てが尊い

リアタイできない私の代わりに是非見て下さい。

 

 

  1. キャストが推し
  2. テーマが推し
  3. 見てるだけで全てが推し

 

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9回目の3.11

 

「3月11日、大変だったよね」

そんな会話は、今でも飲みの席やらで、頻繁に行われています。すでに思い出話の域になっていることを、直接的被災者ではない私達は恐れるべきであって、未だに被災の痕が強く遺る地域が多くあること、まして元いた地域に戻れないまま9年が経ってしまった人も多くいることを忘れてはならないなと、毎年この日に思います。

被災地と、東京の時間の流れは、あまりにも違いすぎる。

 

 

私は中学の卒業式中に、群馬県地震に遭いました。ミッションスクールに通っていた私は、ガタガタと揺れる大きなパイプオルガンや、ぐにゃりとこんにゃくのようにねじ曲がるように見えた礼拝堂を目の当たりにし、「ああ、死ぬんだな」と思ったのを覚えています。

 

当日、両親は働いていて、卒業式には参加していませんでした。ほとんどの生徒が親に連れられて信号の止まった道路をおそるおそる帰る中、私は迎えが来るまで学校に留まることになります。

 

保育士をしていた母は、受け持ちの保育児童が全員帰宅するまで保育園を離れられず、私を迎えに来られたのは日付が回った頃でした。

 

群馬県は、最大震度6弱。電気、ガス、水道といったインフラは全てストップ。犬を飼っていたため、避難所と自宅を行き来しての生活が五日間ほど続きました。相次ぐ余震や緊急地震速報。ラジオでは大変なことがおこっていると分かっていたものの、津波の映像を電気が通ってからテレビで見た時、家族3人で言葉を失いました。生きているんだね、生きていられたんだね。あれほどまでに命の重みを感じた瞬間はないかもしれません。

 

 

情報が手に入らないことへの恐ろしさ、常に流れ続けるラジオの安否情報、事実だけを伝えようとする媒体、人の気持ちをくみ取ろうとする媒体。

報道、マスコミのあり方を、さらに考えさせられた出来事でもありました。

 

 

あれからもう9年。まだ9年。

直接的に被災をした東北や茨城、千葉、長野。あの時から時間が止ってしまった人。反して、進み続ける今の私を含めた直接的被災者ではない人々。思い出話としてではなく、もう一度思い出して、口にしていく必要がある。

 

14時46分。ここ東京で、足を止める人があまりにも少ないことに、改めてショックを受けながらも、今後もこの日は、せめてこの1分間だけは、2011年に帰らないといけない。

 

約1万6000人の死者、未だ見つからない約2500人の行方不明者が、9年前の今日、いなくなってしまったことを、追悼式という形がなくても、覚えておかなければならない。

 

 

9年が経ち、中学生だった私は社会人に。

3.11だけがきっかけではありませんが、私は報道、マスコミと呼ばれる場所で、編集者やライターという肩書きで働くようになりました。

 

「俺たちは、ペン1本で人を死よりもひどい地獄に落とすことができる。
けれど、ペン1本で人を救い、全世界に伝えることができるのも、俺たちだけ。」

そう4年前に教えてくれた、敬愛する編集者の言葉を、もう一度噛みしめ、報道する人間として、再度事象を大切にしながら生きていきたいと思います。

 

 

 

恩師が確かにここにいた。

小学校時代から定期的なやりとりの続く、恩師がいます。

正しくは、いました。

 

小学校3年生の時の担任の先生で、私はその先生が大好きでした。授業はおもしろいし、笑わすのが上手。私の些細な変化に気付いて話を聴いてくれる、本当にいい先生でした。強気で、少し考えがマセていた私の相手をするのは、きっと大変だったと思いますが、根気強く私の話を聞き、指導してくれた先生でした。

 

私が小学校を卒業してからは、先生とのつながりは年賀状のやりとり程度しかありませんでしたが、ひょんなきっかけで、私が高校生の時に再会。先生とたまたまばったりと会い、その場で連絡先を交換して、ちょくちょくごはんに行くようになりました。

 

だいたい、土曜日の私の部活が終わってから、先生のお宅の近くの小さなレストランでのお食事が定番コース。進路の相談、当時付き合っていた彼氏の愚痴、小学校時代の昔話・・・。どんな話でも、先生は私の目を見て話を聞いてくれました。「マオは本当に素直でまっすぐなんだよなぁ」と、いつも笑い飛ばしてくれる先生が大好きでした。

 

 

そんな先生と、最後に会ったのは4年前。成人式で帰省した私は、地元中学ではなく私立中学に進学していたため、成人式はひとりぼっちでした。特に同窓会が開かれるでもなく、ただただ綺麗な振り袖を着て写真を撮るだけだった成人式。その翌日に「マオ、帰ってきてるんべ、メシ食いいこうや」と誘ってくれた先生とお食事に行ったのです。

 

「あんなちっちゃかったマオが、もうハタチかぁ」
「身長はあんまり変わってないですけどね?笑」

 

そんな冗談を交わしながら、私のグラスに初めて瓶ビールを注いでくれた先生。ハタチになったばかりの私は、まだビールが美味しいと感じられるほど大人ではなく、口をつけて思いっきり顔をしかめ、その私を「まだ早いか」と先生が笑う。先生とその教え子の関係を再確認できた、幸せな時間でした。

 

 

それからあっという間の4年。2019年の秋。

先生は亡くなりました。まだ50代も半ばだった先生。教頭先生や校長先生になってもよい年齢だったにも関わらず、最後まで現場にこだわり、教鞭をとっていた先生。数年前から病気を患い、闘病生活を送っていたそうです。

 

あまりにも信じられなくて、冗談でしょうと、連絡をくれた友人に再三確認をしました。それでも事実はひっくりかえらなくて、私はなんだかよくわからないまま、仕事終わりに新幹線でお通夜に向かいました。

 

お通夜には、私くらいの年齢から、10代と思われる制服姿まで、たくさんの教え子が詰めかけていました。信じられないね、と肩を抱き寄せ泣いていました。

 

みんな、なんで泣いているんだろう。

私にはまったく理解できないまま、先生の遺影を見つめ、「先生、なんでそこにいるの? 先生にはそんな白いお花よりジャージ姿のほうが似合うよ」と心の中で話しかけていました。

 

その日のうちに新幹線で東京へ戻りましたが、なにも受け止められなかった私は、一切泣くこともできず、ただ「先生がいない生活」を送るしかありませんでした。

 

 

年が明け、2020年。

私が今お世話になっている「文春野球学校」で、2019年に起こったことについての原稿を書く機会がありました。

最初は、NPB高校野球、それに関連する吹奏楽のことを書こうと筆をとったはいいものの、全く書けなかったんです。なんかちがう。自分が書きたいことはこれじゃないな、と思って。

 

先生のことを、書いてもいいかな。

そう思って、私は先生についての原稿を書き始めました。不思議と、筆がすすみ、先生との思い出や、私が編集者になることを一番応援してくれていたことなど、悩みながらも書くことができました。

 

書いていて、一番びっくりしたのが、先生を思って泣けたということでした。お通夜でも、その後の数ヶ月も、一切泣けなかった私。原稿を書きながら、先生のことを思い出して、たくさんたくさん泣きました。

 

 

その原稿は、のちにたくさんの人に読んでいただき、驚きと、お褒めの言葉をたくさん頂きました。でも私にとってその原稿は、褒められるために書いたんじゃなく、先生への手紙として、気持ちの整理として書いたものだなと思っています。

 

恐れ多くも、添削をしていただいたライターの大先輩より「編集者もライターも続けて下さいね」とコメントをいただきました。先生からつながったこの一本道を、私はたぶん、これからもまっすぐまっすぐ歩いて行くんだろうなと思います。

 

今週末、先生が眠る場所へ、原稿を持って行こうと思っています。

「せんせ、私こんなにせんせのこと好きだったみたいだよ」

そう、墓前に報告できるのが楽しみです。

今年はナゴドに根尾くんを見に行くってきめた

 

 

2018年、金足旋風とかいう超チート級爆風を抑え付け、優勝してしまった大阪桐蔭高校野球部。決勝戦スタメンのうち、根尾、藤原、柿木、横川の4人がプロ入り。これはすごい。

 

千葉ロッテマリーンズ1位氏名の藤原くんは、2019年1年目から1軍6試合に出場。二安打二打点と、手放しに褒められる成績ではないものの、1軍に出場したという実績があります。

それと比較すると、根尾くんの地味さが少し目立つ。2019年シーズンは9月終わりの2試合出場のみ。2打数ノー安打。まあ高卒1年目ルーキーですし、2軍でしっかりと調整して2020年こそたくさん表舞台に出てきて欲しい。

 

 

今年はね、私はナゴドに根尾くんを見に行きたいんですよ。
なぜなら、根尾くんの登場曲がサカナクションの「モス」になるから。

 

モス

モス

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2019年6月26日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』で、サカナクションのボーカル、山口一郎さんのインタビューを行っています。

「ドラゴンズの公認応援団の方々にお願いしたいです。(中略)根尾の時にこの曲を『根尾っ、根尾っ』てやってほしいなと思うんだけど、どこにお願いしたらいいかわからない。」

 

そんなラジオの放送から半年。

山口一郎、この喜びようである…。

 

私自身、そこまで中日に興味があるわけではなく、ただいつも一緒に野球を見に行ってくれる人が中日ファンってだけなんですが、私のように、こういう直接野球に関わりのない要素がきっかけで「あ、ナゴド行こう!」って思えるファンも、一定数いるんだろうなぁ。

 

登場曲って結構大事だと思うんですよね。

レギュラー選手にとっては、毎回の打席に自分を送り出してくれるテーマソングに。代打要員ならば、その1打席に掛けられる応援歌に。ピッチャーなら自分がマウンドに立つその瞬間を高めてくれる曲に。

 

DeNA山﨑投手や、阪神糸井選手、もう引退されましたが巨人2軍阿部監督など、登場曲が選手とファンをつなぐ1曲になることも少なくありませんね。現地(ホーム球場)応援の魅力はそこなんですよ…。

 

 

さて、2月にはいり、球春到来。野球界隈の皆様は明けましておめでとうございます。今年もいいシーズンにしましょう。

2020年シーズンも私は在京二球団を全力応援します。既に3月からは野球の観戦予定がびっしり。金土日はほぼ球場にいる計算です。職場が神宮球場に近く、自宅が東京ドームに近いおかげで、平日はヤクルト、土日は巨人の応援に勤しむことができます。

 

今年は遠征予定も多く、マツダ以外のセリーグ球場は制覇予定。東京オリンピックのおかげで東京ドーム主催試合も多い今年。むしろありがたいくらいです。

目指せ今年も自分超え!

 

巨人が優勝したおはなし

5年前、私は19歳でお酒が飲めませんでした。2014年、巨人がリーグ優勝した時には、うれしそうに騒ぐ大人を横目に、ウーロン茶をすすっていたものです。

月日は流れ、キャプテンは阿部選手から坂本選手に、監督は高橋由伸監督が務めた3年を経て、原辰徳監督に。私は24歳になりました。

 

優勝から遠ざかっていたこの5年。「常勝軍団巨人」からはかけ離れたこの生活に、一番苦しみ、もがき続けたのは、やはりキャプテンだと思います。

坂本選手がキャプテンに就任してからの5年で、巨人はずいぶんと若返りました。坂本選手を筆頭に、今年は特に、「93年組(桜井・中川・メルセデス・今村・田中俊・山本・若林・増田・重信・石川、敬称略)」と呼ばれる彼らの成長が目覚ましく、スタメン全員が30歳以下、という日も珍しくはありませんでした。

 

しかし、その裏で、涙を呑んだ選手が大勢いることも忘れてはいけません。2017年に巨人を戦力外、BCリーグの栃木GBで1年を過ごし、その後現役を引退した村田選手をはじめ、ケガに泣いたり、現役続行を諦めざるを得なかった選手は数多く存在します。

 

今回の優勝は、待ちに待った、と言っていいでしょう。ハマスタでの逆転勝利、素晴らしかった。その後の会見やビールかけも、選手みんなが喜びにつつまれていて、私、巨人が好きでよかったなぁ・・・と。

そう、私も24歳になったんです。土曜日の夜は、一人暮らしのワンルームで、缶ビールを呷りました。優勝して飲むビールは美味しい。

 

 

 

優勝グッズ、何買おうかな。サイン入りトートは絶対。CSと日シリも行きたい。

パリーグを見に行ってきたおはなし



職場の営業さんに、ファイターズファンがいまして。仕事中も社内チャットで「次のドラフトはどうだ」とか「今日はセパどちらも首位攻防戦だ」とか、そんな話ばかりしている、いい営業さんなんですが、その方が今月いっぱいで退職されることに。

さみしい限りではあるのですが、「俺、今月で最後だし、仕事終わりに野球見に行こうよ」と誘っていただきました。

 

で、昨日は東京ドームで行われた、ファイターズ主催試合、北海道日本ハムファイターズ vs 東北楽天ゴールデンイーグルス 24回戦を見てきました。

 

 

儲かっているのか不安になる客入り

まず驚いたのが、東京ドームのガラ空き具合。え、こんなにお客入んないの?パリーグ経営大丈夫なのか?と思ってしまうほど。ホーム球場ではない試合とはいえ、内野指定席や2階席はガラガラ。私の座っていたA指定席も、1列空席、みたいな状況。

私がセリーグファンで、ほぼセリーグの試合しか見に行っていないもんですから、営業さんに「えっ、えっ、大丈夫なんですか?えっ?」と何回も聞き返してしまいました。最近は、東京ドームの巨人戦をはじめ、ハマスタや神宮も、早め早めにチケットとらないとすぐに良い席は売れてしまうし、端席なんて発売翌日でも取れないくらいです。

 

でも良いところももちろんありました。

いつもは長蛇の列に並ばないといけないお手洗いやグッズショップ、フードが、ほぼ待ち時間ナシだったこと。正直、なんて快適なんだと思いました。いつもなら、ここはディズニーリゾートか、と思うようなトイレ列。ショップ前には人だかりができ、フードはなかなか列が進みません。ゆっくりとフードを吟味し、購入できたのは、もしかしたら昨日が初めてかも。

 

 

やっぱりセリーグも、DH制を取り入れるべきではないか説

セリーグパリーグ、一番の違いはやはりDH制の有無です。守備のポジションが被る選手にも出場のチャンスが与えられるほか、ピッチャーは投球に専念できる環境を整えられます。まれなパターンではありますが、かつてファイターズ選手だった大谷選手のように、二刀流での出場など、選手に合わせた出場方法にも柔軟に対応できます。

 

DH制を取り入れると、投手の打席に代打を送るか否か、といった駆け引きは見られなくなり、DH制反対の声を上げる人はほとんどがこの意見なのではないかと思います。ただ、昨日パリーグの試合を見てて思ったのは、自チーム攻撃時に、しっかりと休めるピッチャーの姿。回間にあわてて防具の準備をする必要もなく、ピッチャーが打席でケガをする心配もなく過ごせるのは、大いにメリットであるように感じました。

 

 

余談

結果として負けました!どっちかを偏って応援していたわけじゃないけれど、一応1塁側にいたのでファイターズは負けました。今年のファイターズ、一時期は2位にいたはずなんだけどな・・・。相次ぐ主力選手のケガに悩まされ、昨日は中田翔もスタメン落ち。DH4番近藤は、申し訳ないですが少し心細さを感じました(今シーズン本塁打1桁だしね・・・)。

 

対するイーグルス、則本のピッチングはキレがあり、やはり振りかぶって投げるあのフォームはかっこいい。ワインドアップのピッチャー、本当に絶滅危惧種ですよね。私はジャイアンツ(現ライオンズ)内海のワインドアップが大好きです。そのワインドアップ、めっちゃ殺すやん!!!!て笑

 

銀次のインハイ、見られなかったことだけ残念かな。すごく好きなんですよ、銀次のインハイ打ち。侍が刀で敵を叩き切って行くようなあの姿。

 

9月は個人的パリーグ強化月間でして、16日(来週月曜日!)にはメットライフドームに出かけます。ライオンズの優勝、もしかしたら見れるかも?

 

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去年のファイターズスローガン「いちばん青い空にしよう。」がすごく好きでした。 ファイターズブルーサワー、おいしかったです。

 

 

 

広島東洋カープが動いているおはなし

野球が好きだから、贔屓2球団以外のスポーツニュースも見てしまう。昨日、今日と、主なトピックはカープ関連でした。

バティスタ、ドーピング規定違反に対する制裁通告

バティスタのドーピング処分、声明が昨日でました。

www.sanspo.com

6か月の出場停止処分、なおオフシーズンを含む、です。処分解除は、来年3月2日。このサンスポ記事にもあるように、NPBでドーピング検査が本格的に導入されたのは2007年で、それ以降に処分を受けた選手としては7人目です。

バティスタのコメント全文はこちらから↓

www.baseballchannel.jp

カープアカデミー出身の彼からすれば、NPBでのプレイはそれこそ血のにじむ思いをして勝ち取ったもの。それを、薬物で台無しにするような行動・・・やはり、彼のコメントを信じるしかありません。

カープからすれば、1軍に常に帯同する主力選手の離脱ということもあって、今シーズンの大打撃であったことは間違いありません。ですが、今年6月のオリックス・メネセス選手が同じようにドーピング摘発→1年間の出場停止処分→オリックスが契約解除、となっていることを受けると、来年シーズン始まりの契約続行はどうなるのだろうかと検討がつきません。

ちなみに、バティスタ代役と言われる、サンタナ選手は1軍昇格後即タイムリーで、守備もそこそこ堅く、これから育てていけば主力選手になることは間違いないと思います。が、バティスタのような長打力が足りない。長打の選手がどんどん流出する広島にとって、バティスタが戦力として今後も活躍できるであろうことには代わりありません。

予想としては、契約続行7割かなと思っているのですが・・・。どうだろう。

 

エルドレッド、駐米スカウト就任

2018シーズンで広島のユニフォームを脱いだエルドレッド。今年はNPBの続投希望を出していましたが、声がかからず、現役引退の発表です。

hochi.news

カープファン(私は違うけど)には嬉しい報告として、カープの駐米スカウト就任が発表されました。9月15日にはマツダスタジアムで引退セレモニーが開催され、記念グッズも発売されるとのこと。

子どもを広島市内の公立小学校に入れるなど、広島市民に広く受け入れられていたエルドレッド広島東洋カープというチームに、今後も所属し続けてくれることは、とても嬉しいことですね。今後はフロントとして、与えられた仕事をきっちりこなし、カープをもっと強いチームに育ててくれることでしょう。

エルドレッド、個人的に好きなので、このニュースはとても嬉しかった。私はDAZN中継ユーザーなので、マツダ戦は見れないのですが・・・。セレモニー中継、やってくれ。

 

今シーズン、私の報告

会社が渋谷にあることから、平日は神宮球場に通うことが多かった今シーズン。よく考えたら、東京ドームにはオールスターしか行ってない計算に。

今週末、神宮1試合と、16日の西武ドーム(西武×ロッテ)をもって、私の2019年ペナントレースは終了です。CSと日シリは行けそうですし、ドラフト会議は家で見る予定。プレミア12も既にチケットを押さえているので、まだしばらく野球シーズンは続きますが。

今年もいいシーズンだったなと。次回は今シーズンまとめをできればと思います。