Departure's borderline

フリーランス編集/ライターのいろいろな興味事

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フリーランスの冠婚葬祭、結構大変だったおはなし

 

先日、祖父が亡くなりました。

私が生まれたころにはもう、父方の祖父は他界していて、「おじいちゃん」といえば母方の祖父のことでした。

家業の農家をやりながら食品会社の営業部長をやっていた祖父は、とにかく料理上手。親戚の集まりではよく庭に作った通称”うどん小屋”でうどんを粉から作り、得意のもつ煮をふるまう人。幼い私はよく「お手伝い」と称してつまみ食いをしたものでした。

 

83歳、大往生。コロナ前から認知症胃がんが進んでいて、入退院を繰り返すような生活。私が最期に会えたのは今年の2月のことで、たまたま祖父母宅の近くで仕事をしていたので会いに行ったっきりとなりました。

そのころにはもう、私のことを認識できなくなっていて、ずっと私を母の名前で呼ぶようになっていました。祖父の記憶から私がいなくなってしまったのはさみしかったけれど、母が祖父からこんなにも愛されていたんだなと思えたひとときでした。

 

訃報があったときには、あまり実感もなく、「そろそろだろう」と覚悟もしていたので涙など出ず。なんなら死に顔をみたときも、葬儀のときも実感はわかない感じ。ただ忙しくする祖母と母の背中をみながら、孫にできることもなく喪服を着て立っていた数日間でした。

田舎の葬儀はおおごとになりがち。遺族や親族がしっかり別れの時間も持てぬまま、一般の弔問客の相手をしたり、お茶出ししたりと忙しい。これ、どうにかならないのかなと考えてしまいました。

 

 

 

思えば、フリーランスになって初めての冠婚葬祭でした。

おめでたい話の時と違い、別れは突然といったもので、今回私は仕事の調整にだいぶ苦労しました。葬儀当日はなかなかずらせない取材が入っていたり、前日から祖母の家に来てほしいとたのまれ、急遽仕事終わりに終電に飛び乗ったり。

正社員なら「忌引き」と言えば済むものを、納品をどう調整すればいいか、新規の依頼をどう断ればいいかと右往左往。葬儀前後の4日ほどは仕事がまったくできず、当然売り上げも落ちる。自分で選んだ道ながら、「正社員だったらな」と思うことが少しありました。

 

 

 

9月はとにかく大変でした。自分の体調もメンタルもズタボロにし、極めつけのこの不幸。じいちゃん、もしかして私が忙しいのわかってて「そろそろうちにこないか~」って言ってたのかもしれないな、なんて。